大判例

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福岡高等裁判所 昭和51年(ネ)169号 判決

控訴人(附帯被控訴人)

増田益男

右訴訟代理人

倉増三雄

被控訴人(附帯控訴人)

西兼次郎

被控訴人(附帯控訴人)

西静香

右被控訴人ら訴訟代理人

岡林憲正

主文

控訴につき、原判決中控訴人(附帯被控訴人)敗訴部分を取消す。

被控訴人(附帯控訴人)らの請求をいずれも棄却する。

被控訴人(附帯控訴人)らの附帯控訴をいずれも棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも、被控訴人(附帯控訴人)らの負担とする。

事実《省略》

理由

一被控訴人西兼次郎が亡西康次(以下康次という)の実父であり控訴人が増田外科医院を経営する外科医であること、昭和四六年二月一七日、午前九時頃、康次が被控訴人西静香に付添われて増田医院を訪れ、康次の四日前に右足に釘を踏んだとして、その治療を求めたので、同日控訴人において右康次の傷の治療をし、同月一八日及び一九日にも康次が来院したのでその治療をしたこと並びに康次が同月二四日午前六時頃死亡したことは当事者間に争いがない。

二康次の受傷から死亡に至るまでの経緯

原判決理由二の説示は、その認定資料に当審証人助広和郎の証言を加え、その3を次のように訂正するほかは当裁判所の認定判断と同一であるから、これを引用する。

「一八、一九日の両日も、康次は増田医院に通院したが、被告は康次に対しガーゼや包帯の取替をしただけで、それ以外に診療もしなかつた。康次は一八日の夕食時頃になつて『口が開きにくい、歯が痛い』と原告らに訴えた(この頃から、前記創傷により侵入した破傷風菌による破傷風の前駆的症状が起り始めていたものと考えられる)が、原告らは、当時たまたま康次が学校からむし歯があるのでその治療をするようにとの連絡指示されていたこともあつて、康次の右訴えはむし歯によるものと考え、翌一九日康次に対し増田医院からの帰途、近くの助広歯科に行くよう指示したので、康次は同一九日も前記のように被告の医院に通院してガーゼや包帯の取替えをしてもらつたが、被告に対し口の開きにくいとの訴えはせず、その帰途、助広歯科に赴き、同医院で歯の治療を受けたところ、同医院では慢性歯根膜炎と診断し、右下乳白歯二本を抜歯した。」

三破傷風の病理、症状、予防及び治療について

原判決の理由三の説示は、その認定資料として、鑑定人海老沢功の鑑定の結果、〈証拠〉を加え、次の付加訂正するほかは、当裁判所の認定判断と同一であるから、これを引用する。

1  原判決一七枚目裏七行目の「その」の次に「その毒素の中毒(この毒素はこの世に存在する毒物中二番目に毒性が強く人に対する致死量は二〇〇〇万分の一グラムで、コブラ毒の約六〜七万倍の毒力があるとされている)により」を加え、同末行の「一定の条件」の次に「すなわち、組織の低酸素状態が起り、歯の発育に好適な状態」を加え、

2  同一八行目表一〇行目末の次に「しかし、破傷風は一般的外傷のみではなく、むし歯、ひび、あかぎれ、湿疹からの発症も多く、また全く外形的に気付かないような小さい傷も感染し、発症する場合もあるのであつて、どのような傷であれば安全といえるものは存在しない」を加える。

3  同一八枚目表末行目の「六日ないし一四日とされているが、」の次に「二、三日で発症する場合もありうる。そして」を加え、同一八枚目裏六行目の「増加及び吸着部位の拡大」次に「や毒素の多少及び毒素の強弱」と訂正する。

4  原判決の理由三の3の予後の項を次のとおり改める。

「前述のように破傷風の発症率は極めて低いが、発症後の致死率は極めて高く、伝染病の中でも致死率の最も高いものである。多くの破傷風研究者は、破傷風は、発病即死が約束された疾患であると嘆いている。昭和四一年のわが国における患者数四五三名に対し死亡者は三二一名で致死率は七一パーセントの高率にのぼるものとされている(〈証拠〉によると、昭和三八年から同四八年までの十年間において、発症率は三分の一に減少しているが、その致死率には殆んど変化はないとされている)。破傷風の予後については、潜伏期の長短、又は、初期症状(普通には開口障害)から全身症状の強直けいれんが起るまでの期間、すなわちオンセツト・タイムの長短によりこれを考えているが、いずれもそれが短い程致死率が高く、例えば潜伏期についていえば潜伏期一週間以内九一パーセント、二週間以内八二パーセン、三週間以内五〇パーセントとか、潜伏期五日以内一〇〇パーセント、一〇日以内七九パーセント、一〇日以上三八パーセントの致死率とかいわれている。最近においては、潜伏期よりも前記オンセツト・タイムを予後の指標とするのがよいとされており、オンセツト・タイムと予後の関係をみると、四八時間以内七五パーセント、三日以内二八パーセント、三日以上一五パーセントないしは8.5パーセントの致死率とされている。そして鑑定人海老沢功の鑑定の結果によると、右オンセツト・タイム四八時間以内のものを重症(危険例)なもの、そしてその中、急激な経過をとるものは電戟性破傷風といい、オンセツト・タイム三日以上のものを中等症(亜危険例)とし、全身けいれんを起さず、筋肉の硬直のみを示すものを軽症のものとしている。そして破傷風により死亡する場合、その生存期間は、発病後オンセツト・タイムの三倍といわれ、本件康次の場合、受傷後発病までの潜伏期間が五日と六時間、オンセツト・タイム約四〇時間であり、その病状の経過からして前記の重症の電戟性破傷風であつたということができ、もし死に至るとすれば、その生存期間は二月一八日夕方からオンセツト・タイムの三倍である一二〇時間位で、二月二三日の深夜か二四日の早朝に死亡するものではないかと推定されるものであつた(実際にも康次は二月二四日の朝六時頃死亡しているのである)ことが認められる。)

5  原判決理由三の4の(一)の健康時の予防の項の冒頭に「破傷風は予防注射の対象とすべき疾患であつて、治療の対象とすべき疾患ではない。『健康な時に予防注射をしておけ、』、『傷つけられてから楯をにぎる、それではもう遅いんだ――外傷を受けてから破傷風の予防を考えるのではもう遅い』とさえいわれている。前記のように破傷風は発病即死亡につながる疾患であるとされているが、その受傷前の予防の効果は絶大であつて、それのみが破傷風を予防し、人を破傷風の死から守る唯一最大の方法であるとするのが破傷風研究者の一致した結論である。」を加え、原判決理由三の4予防の(一)の項の末尾に「本件康次の場合昭和三四年生れであつたので、右トキソイド接種による破傷風の免疫性を全く付与されていなかつた。」を加える。

6  原判決理由三の4の(二)の(1)創傷処置の項の末尾に「以上の外傷の処置はできるだけ早く行うこと、破傷風毒素は短時間に致死量の毒素が産出される可能性があるので、六時間以内に創傷の浄化を行うこととされ、六時間以上経た創傷自体をも破傷風の原因となる創傷の一つに挙げている学者さえある。」を加える。

7  原判決二一枚目九行目の「一方、」以下同一〇行目の「いわれている。」までを削り、同所に「鑑定人海老沢功は、抗毒素の価値について、破傷風患者の予後は、抗毒素を、いつ、どれくらい注射したかは少数の軽症例を除いてあまり関係がない。五〇〇人以上の破傷風患者の病歴を分析して得た結果は、重症例の経過は、抗毒素注射をしたにもかかわらず一様に悪化し、一定の経過を経て治癒するか、短時日の中に死亡するかである。とくに本件の如き重症例では、抗毒素の占める役割は、全治療処置中、おそらく五パーセント以下の比重を占めるに過ぎないとし、抗毒素無効論さえいいたくなる場合もあるとしている。」を加える。

8  原判決二三枚目表六行目末尾に「したがつて、これが当時、一般の開業医の間に一般化していたとまで認めるには十分でない。」を加える。

9  原判決三枚目裏の「6治療」の項を次のように改める。

「破傷風は破傷風菌の産生する毒素による中毒性疾患であるといえるから、その治療方法としては、(一)新たな毒素の発生を防止すること、そのために毒素源である創傷を開放創とし、異物の除去等の外科的処置をし、混合感染、合併症状に対処するための化学的治療をなすこと。(二)速かに血中に遊離している毒素を中和させること、そのために抗毒素血清の大量静脈注射により、中枢神経に未だ結合せず血中に遊離中の毒素の中和をはかること、(三)、前述のように抗毒素血清療法は、その効果が現われるのに四日位はかかるものと考えられているから、早期診断により、早期に着手する必要があるが右血清はすでに中枢神経と結合した毒素を中和する力はなく他に右結合した毒素を無力化する方法はないので、右結合した毒素が無毒化するまで、それによつて引き起されるけいれん等の症状に対し、適切な対症療法(内科的療法)を行うことである。さきにも述べたように、重症例の破傷風においては抗毒素血清の注射をしたことに関係なく一様に悪化するものとされているので、この場合における破傷風の治療で最も大切なことは、右の対症療法である。抗毒素がなくても破傷風患者は助けられるが、対症療法なしにはその治療はないとさえいわれている。鎮静、抗けいれん、筋弛緩剤、利尿剤の投与、輪液等による栄養補給、痰などの吸引及び気管切開による気道の確保、人工呼吸器、呼吸興奮剤等による呼吸の補助、管理、肺炎、無気肺等肺合併症の予防等が適切に行われることが重要な対象療法とされ、それらのうちどれ一つを缺いても、治療は失敗に終るものとされている。そして、それらの対象療法は訓練され経験を積んだ麻酔科、内科、外科、小児科の専門医、それに経験を積んだ看護婦等の協力によつて、はじめて適切にこれをなすことができるのであつて、破傷風患者の治療は麻酔科専門医が常時二、三人つめている病院以外ですべきではないとさえいわれている。」

四控訴人の責任

1  控訴人の過失について

(一)  前記康次の受傷から死亡に致るまでの経緯において認定した事実によるとき、康次が控訴人の治療を求めたのは、同人が破傷風の原因となつた受傷(釘を踏んだ)から三日と約二〇時間を経た後の二月一七日の午前九時三〇分頃であり、控訴人の康次に対する診察治療は、その時から開口障害の発現ないしオンセツト・タイムにかけての時期において、これをなしたことになるが、被控訴人らは先づ右初診時における控訴人の治療上の過失を主張するので、その時期における治療が適切になされたどうかについて考察することとする。ところで前記認定(引用の原判決の認定を含む、以下同じ)のように、破傷風はその発症率が極めて低く、開口障害等の破傷風の前駆的諸症状の発現しない段階においては破傷風の診断を下しえないものであるから、本件においては、結局、控訴人が二月一七日に康次を初めて診察した当時、第一に康次に破傷風罹患の可能性があつたか否か、第二に控訴人がその可能性を認識したかどうか、第三に控訴人が康次の初診時に施した治療及びその後の教示が適切であつたか否か問題となるので、以下これらの点について検討することとする。

(1) 康次の破傷風罹患の可能性

この点については、前記認定の康次の受けた創傷と破傷風の病理からすれば、その可能性が肯認さるべきものであることは明らかなものといえる。

(2) 控訴人が康次の破傷風感染の可能性を考えたどうか

この点についての判断は、原判決の二五枚目表四行目以下同二六枚目表一〇行目の説示と同一であるからこれを引用する。

(3)  控訴人の初診時の治療は適切であつたか

(イ)  控訴人の創傷処置について

受傷時における適切な創傷処置が、従来から破傷風予防の最初の基本的処置とされてきていることは、さきに認定したとおりである。これは創傷から侵入した嫌気性の破傷風菌の菌体を速かに除去するとともに、菌の発育環境を悪くしてその増殖を抑制するためのものであり、その方法としては挫滅、壊死組織の切除、異物の除去、創傷の辺縁切除、深い創傷については開放創とし、十分な消毒と洗滌をなすこととされている。そして、これらの創傷処置は、その目的からして、受傷直後できるだけ早い期間に行われるべきものとされている。特に鑑定人海老沢功の鑑定の結果によると、破傷風の毒素は短時間に(傷の情況によつては一日以内にできる)致死量の毒素が産生される可能性があるので、創傷処置は六時間以内に行うべきであり、浄化処置が行われず六時間以上経過した創傷は、それ自体破傷風の原因となる創傷の一つに挙げられるとさえいわれている。しかし、右のような創傷処置は他面においては破傷風の治療において認定したように破傷風症状を発生させる基となる毒素を産生する破傷風菌とその産生場所を除去する意味をも有しているので、控訴人が初診したとき康次は受傷後すでに三日と二〇時間を経過していたものであるけれども、前記のように破傷風発生の可能性の考えられる本件康次の場合、それを考慮して創傷の処置をなすべきであつたものというべきである。そして当審における鑑定人海老沢功の鑑定の結果によるとき、刺傷のような場合、当該医師としては異物を除去したつもりであつても、異物は単数ではなく複数であつて、なお深部に異物が残存していることがありうるので、刺傷の場合の創傷の処置としては、その大小を問わず楔状に、なるべく深く組織を切除すべきであるとされている。しかるに、本件において控訴人がとつた処置は、創底に砂様の異物を残すという不完全なものであつたことは前記認定のとおりであるので、控訴人はその創傷処置の点においてその処置不十分の過失があつたとのそしりは免れない。もつとも、右過失が本件康次の死亡と因果関係があつたか否かについては、又別の問題であるので、別途に考察しなければならない。

(ロ) 抗生剤の投与の化学療法を行わなかつたことについて

ペニシリン投与等の化学療法の破傷風予防にもつ意味については前記認定(引用の原判決理由三の4の(二)の(2))のとおりであるところ、控訴人が康次に対しペニシリン注射等の化学的療法を行わなかつたことは、控訴人において自認するところである。控訴人はペニシリン投与等の化学療法は、当時はもちろん現在も破傷風に対する有効な処方であるとの定説はなく、その効力は疑問とされていた旨主張する。

〈証拠〉によると、試験管内における実験において、破傷風菌がペニシリン等の抗生物質に対し強い感受性を示すものであり、したがつて、破傷風菌に対しペニシリン投与等の化学的療法が有用でないかと考えられている。しかし、それも前記のように外傷時に胞子の状態で侵入した胞子状の破傷風菌に対しては全く効力がなく、胞子が一定の条件で発芽し、菌体となつて増殖する段階において、その増殖するのを阻止する面に働くと考えられているので、破傷風菌が胞子の状態で外傷と同時に体内に侵入した場合、つぎつぎに菌体が生成される可能性があるので、その増殖を抑えるためには長期間にわたり継続して投与する必要があるものと考えられている。しかも、一方、右鑑定人の鑑定の結果によると、モルモツト、マウス等を使用しての動物実験の結果、すなわち、モルモツトについては破傷風菌の胞子を接種直後と一二時間後とに、異る量のペニシリンを注射し、マウスについては胞子接種後直ちに大量の持続性ペニシリンを注射する等としてペニシリンの使用と破傷風発病予防効果について実験した結果、その殆んどは死に、その予防効果はなかつたとの実験結果が報告され、結局ペニシリンの投与等の化学療法には破傷風自体の予防効果に乏しく、その予防効果を期待することはできないものであることを力説している。また前記〈証拠〉にも、破傷風患者五〇例のうち、外傷後化学療法を受けながら発症しているのが一三例あつたとされていて、化学療法の破傷風予防には限界があるものとしているし、また〈証拠〉によるとスカンジナビア教科書は「破傷風菌には抗生物質の価値は疑問であり、何人も抗生物質の治療効果は期待できない」としている。もつとも、外傷時、破傷風菌と同時に侵入した他の好気性菌を死滅させることにより破傷風菌の発育条件を悪くするという意味で、一種の予防効果が考えられるとすることは前に認定したとおりであるが、前記鑑定の結果によるとき外傷時破傷風菌の他に侵入し感染した菌がブドー球菌のような場合は、それがペニシリン分解酵素を分泌することによつて、ペニシリンの効果はさらに弱められて、その予防効果は期待できなくなるとする。そして、本件康次の場合、同人が控訴人に治療を求めて来たのは、受傷後三日と二〇時間を経過し、刺傷部位が発赤し、腫脹、疼痛があつたということからして、ペニシリン耐性の刺傷感染菌であるブドー球菌による感染があつた可能性もあるので、ペニシリンの効果は期待できないことになるし、また右刺傷部の発赤がブドー球菌の感染によるものでないとすれば、破傷風菌の産生する毒素の中、代表的な前述の神経毒の他に、局所に出血をおこし、血液循環――局所への酸素の供給を悪くし、嫌気性の細菌である破傷風菌の発育に好条件を作る出血毒の産生によることも考えられるから、康次が控訴人に治療を求めて来たときには、すでに破傷風菌が多量に増殖し、多量の神経毒が産生されていたことになつて、その予防効果はないことになり、それらのことから結論されることは、破傷風の予防には受傷後とるべき処置としては、あまりペニシリンや抗毒素にたよらぬこと、浄化等の創傷処置は速かに(六時間以内)に行えとする。そしてその後の部分は不可抗力の条件下で破傷風になり、生命の危険にさらされるものである。したがつて健康な時に破傷風の予防注射を受けておくことのみが唯一の予防であると結論付けていることが認められる。

以上のような事実から考えるとき、ペニシリン投与等の化学療法にはそれなりの効果があるにしても、それは受傷直後の早い時期において、創傷の浄化等の創傷の外科的処置と併せて行うことに意味があるといえるのであつて、受傷後三日と二〇時間を経過した本件康次のような場合にも、なお、破傷風の予防処置として、ペニシリン投与が有効な処方であるとするのが定説とすることには、疑問があるものとせざるを得ず、本件の場合控訴人が、右のような化学的療法を施しておけば康次の破傷風感染を防ぎ得たと認めるに足りる証拠はない。したがつて本件において右化学的療法をなすか否かは、当該医師の裁量の範囲内の問題であつたと解するのが相当であり(本件控訴人の場合、その化学的療法を行つておけば、その効果の有無にかかわりなく、責任追及の口実を与えない意味で有用であつたと考えられる)、よつて、控訴人が右化学療法を行わなかつたこと自体をもつて、控訴人に治療上の過失があつたとすることは相当でない。

(ハ) 控訴人が血清療法を行わなかつたことについて

控訴人が康次の治療に際し、予防として破傷風抗毒素血清の注射をしなかつたことは当事者間に争いがなく、破傷風抗毒素血清療法の破傷風予防にもつ意味は引用の原判決理由三の4の二の(3)のとおりであるところ、右事実と当審鑑定人海老沢功の鑑定の結果によると、右療法として当時使用されていたのはヒト血清ではなく、ウマ血清であり、右ウマ血清の使用については前記のとおりシヨツク死するという重大な副作用があるほか、後日ジフテリヤその他の疾病のため、ウマ血清療法が必要となつたときに、同血清療法が行えず、重大な事態が危惧されるという問題が指摘されていたため、一般には破傷風抗毒素血清は、破傷風の症状が発現してからこれを使用すべきものとされ、それ以前に予防的に同抗毒素血清を注射することは相当でないとして、一般的に奨められていなかつたことが認められ、のみならず前記海老沢功の鑑定の結果によると、オンセツト・タイム四八時間以内の危険例と、同三日以上の亜危険例の各破傷風患者とについて、けいれんが起る前に入院して抗毒素治療を開始した群と、けいれんが起きて治療を開始した群とにおいてその予後を比較考察した結果では、危険例においてはいずれの群も六四パーセントの致死率、亜危険例においては前者一八パーセント、後者一四パーセントの致死率で、特に重症例においては抗毒素の注射をしてもそれに影響されることなく、一様に病状は進行するものであるとされていることが認められるので、これらの事実から考えるとき、本件において控訴人が予防的に抗毒素血清を注射しなかつたとしても、そのことをもつて控訴人に治療上の過失があつたとすることはできない。

(ニ) 控訴人がトキソイドの注射を行わなかつたことについて

控訴人が二月一七日から同月一九日までの治療期間中にトキソイド注射を行わなかつたことも当事者間に争いがない。

そして、受傷した非免疫者に対する破傷風予防として行うトキソイド接種については、前記のように、(1)受傷当時0.5ml、その後四日目及び七日目にそれぞれ0.5mlのトキソイドを注射する方法と、(2)一部の研究者によつて、受傷後直ちに(二四時間以内)に大量(二ml)のトキソイドを注射する方法が説れていたが、それらの破傷風予防にもつ意味は原判決の理由三の4の(二)の(4)及び(5)記載のとおりであるところ、〈証拠〉によると、それらは、健康人に対して破傷風予防のために行う場合とその性質を異にし、トキソイドが変性された破傷風毒素で、病原性はなくなつているが、神経組織と結合する能力が残つているため、接種したトキソイドが神経組織と結合してそれによつてその後、創傷部で産生され進行してくる破傷風毒素が神経組織と結合することを妨げることを期待し、次いで漸次産生されてくる抗体によつて破傷風毒素を中和することを期待するというものである。しかし、右(1)の場合抗体(免疫性)が現われるまでには一週間以上を要し、また(2)の方法も、受傷後二四時間以上経過した者に対しても十分な効果を有するとする考えは、本件当時において、一般開業者の間に、一般化したものと承認されていたものでなかつたことは前に認定したとおりであり、また、前記海老沢功の鑑定の結果によると、本件康次の破傷風は、潜伏期間が五日と六時間、オンセツト・タイム四〇時間の重症の電戟性破傷風であつたことが認められ、そして、この場合、破傷風菌が強力であつて、受傷後短期間のうちに強力な破傷風毒素が大量に産生されていたことも考えられ、本件の場合、控訴人が康次を初診したのは、同人の受傷後すでに三日と二〇時間を経過していたのであるから、控訴人が康次の初診時直ちに大量のトキソイドを注射したとしても時間的に前記のような予防効果を期待し得たかどうかは極めて疑問であることが認められる。そうだとすると、控訴人が右のように、康次の初診時、トキソイドを全く注射しなかつたとしても、そのことをもつて控訴人に治療上の過失があつたとするのは相当でない。

もつとも、〈証拠〉によると、一九六六年のスエーデン外科学会では「破傷風非免疫の外傷患者にはすべて破傷風トキソイドを注射しておくこと。もし医師がこの処置をとつておいた場合には、後日、患者が破傷風死しても、医師に有罪を宣告することはできない。」と宣言していること更に同年スイスのベルンで開かれた第二回国際破傷風会議において医師に対する予防示針として「医師は外傷患者に対しトキソイドを注射せよ。」と勧告されているが、同鑑定によると、右は患者を守るというよりは、破傷風に関し法律問題が起きたとき「一般的外科処置のほかに、破傷風発病予防のために特別の処置を何もしなかつた」という結問から医師自身を守るためであるとしている。右の考え方からすれば、本件の場合も紛争をさけるために控訴人においてトキソイドの注射をしておく方が安全であつたといえるが、それは医師である控訴人の裁量の問題といえても、治療上の過失とすることは相当でない。

(ホ)  控訴人が治療時破傷風の教示をしなかつたことについて

控訴人が康次の治療に際し、同行した被控訴人静香に対して破傷風の前駆症状である開口障害についての教示並びに同障害が現われたときは直ちに医師の治療を受けるよう教示しなかつたことは当事者間に争いがなく、被控訴人らは控訴人が右教示をしなかつたことをもつて治療上の過失があつた旨主張する。

医師法第二三条は「医師は診察したときは本人又はその保護者に対し療養の方法その他保健の向上に必要な事項の指導をしなければならない」旨規定して、医師に対し療養上必要な事項等の教示指導を義務付けている。しかし右規定は、一般的に医師に対しその自主的遵守を期待しているに過ぎないものであるから、右教示指導をしなかつたことをもつて医師に診療上の過失ありとすることはできない。

しかし、前述のように本件破傷風のような場合、その病状のはげしさ及び致死率の高いことからして、その発症後の治療は、可及的早期に着手すべきであることを念頭におけば、破傷風罹患の具体的可能性との相関関係のもとで、すなわちその蓋然性が高いと認められる場合には、医師の右教示指導義務は、単なる自主的任意規範の域を超えて、医師の当該疫病治療責任上の法的義務ともいうべきものといわなければならない。しかして本件においてこれをみるに、破傷風はどのような創傷からでも罹患するものではあるけれど、本件康次の創傷は古釘による刺創で、一般の破傷風患者に比較して、その罹患の可能性が、かなり高い蓋然性として存していたことは前述のとおりであるので、控訴人が康次について破傷風発症についての具体的可能性を認識せず、被控訴人静香に対し前記教示を全くしなかつたことは、外科医としての治療責任上の過失があつたものとしなければならない。

もつとも、この点につき控訴人は破傷風の前駆的症状の発見は医師において極めて容易でない症状であるから、これが発見をなしうる理解に達するまで、患者に教示することは困難であるし、破傷風にはまれにしか発症しない非定型的な危険であり、それを教示することは患者にいたずらに恐怖不安を与えるのみであるから、その教示義務はない旨主張する。前記鑑定の結果によると、破傷風の前駆的症状の発見については医師でも容易でない場合が多いことが認められるが、その一般的な前駆的症状は開口障害であり、本件康次の場合もそうであつたと認められることは前記のとおりであるので、右開口障害についての教示で十分であつたといえるし、破傷風が発症率の極めて低い稀な疾病であることは控訴人主張のとおりであるけれども、本件康次の場合、その具体的発症の実現の高い蓋然性が存していたと認むべきことは前記のとおりであるので、控訴人主張のような事情をもつて、法的教示義務を否定することはできない。

(ヘ) なお、被控訴人らは、控訴人が康次を設備の整つた九大病院にでも転医させなかつたことをもつて過失があつたと主張する。

破傷風が一般的に発症後、けいれんが全身強直けいれんと症状が一様に急速に悪化し、その対症療法は、経験を積んだ内科、外科、麻酔化等の専門医の協力や十分な看護体を必要とし、関連合併症を考慮して集中医療のできる設備の整つた病院でないと十分なその治療を期待し得ないものであることは鑑定人海老沢功の鑑定の結果によつて明らかである。したがつて、一般的にいえば破傷風の発症後においては、できるだけ、そのような設備の整つた病院で治療すべきであり、自己の病院においてそのような治療が困難な場合は直ちに前記のような病院に転医さすべきことが相当と考える。しかし、本件の場合、その発症の具体的危険性が考えられたとはいえ、控訴人が康次を治療していた期間中控訴人において未だ康次の破傷風発症を確知していなかつたものであることは原審における控訴人本人尋問の結果により明らかであるので、控訴人が二月一九日までの間に被控訴人ら主張のように康次を他の病院に転医させなかつたとしても、そのことをもつて治療上の過失ありとすることはできない。

(4) 一応のまとめ

以上のとおりであつて、要するに本件において、控訴人が康次の創傷の治療に関与したのは、康次の外傷後素人の家庭的治療を経て三日と二〇時間を経過したときに始まる三日間であるが、康次の外傷が古釘を踏み抜いたことによる創傷であり、前記のように破傷風罹患の実現的可能性が考えられたのに、そのことまで考慮を払わず、初診時、創底に異物を残す等創傷処置の不十分な治療をしたこと及び破傷風の一般的前駆症状である開口障害が出た場合の指示を全く欠いていた点において、臨床医学上の知識と技術を駆使して外傷患者の治療に当ることが要求される外科医としての治療上の過失があつたものと一応結論される。

2 因果関係

そこで、控訴人の前記過失と本件康次の破傷風死との間に法律上因果関係があつたといえるか否かにつき検討する。

康次は二月一三日午後一時三〇分頃、古釘で足蹠に刺傷を受け、その創傷から破傷風に罹患し、同月二四日午前六時頃死亡したものであるが、右康次の破傷風は、潜伏期間五日と六時間、オンセツト・タイム四〇時間の典型的重症の電戟性破傷風であつたこと、そして予測される生存期間(死亡する場合の死亡時期)は同月二三日深夜か二四日の早朝までであると考えられた(現に康次は二四日午前六時頃死亡している)ことは前記のとおりであり、オンセツト・タイム四八時間(二日)以内、潜伏期一週間以内の重症の破傷風の致死率は七五パーセント、あるいは九一パーセントとされていること、また一般に破傷風はその発病とともに死が約束された疾患であるとしてその研究者を嘆かせていることも前記認定のとおりである。そして前記鑑定の結果によると、本件康次の破傷風発病の根本的原因は、同人が健康時に破傷風の予防注射を受けていなかつたことと、受傷後、控訴人の外科的治療を受けるまで三日と二〇時間も経過してしまつたことであり、そして康次死亡の原因と考えられるのは、同人の受傷時感染した破傷風菌が強毒菌であつたと考えられ、このため重症の電戟性破傷風に罹患したこと、本件の経過でみられるような重症の破傷風患者を助けるためには、訓練と経験を積んだ内科、外科、麻酔科等の専門医協力と経験ある看護婦の看護を必要とし、関連合併症を考慮して集中医療のできる設備のある等人的、物的設備の整つた病院で治療することが必要であるのに、九電病院においてはそれが十分でなかつたこと等が最大の原因であつたといえることが認められる。したがつて、康次の受傷後三日と二〇時間経過した時点で、初めて康次の創傷の治療を求められた控訴人において、前記のように診療上の落度があつたとしても、それと康次の破傷風死との間には、相当因果関係はなく、康次の死亡は回避不可能であつた旨の控訴人の主張は、十分考慮に値いするものといえる。

そこで、本件において問題にさるべきものは、控訴人の前駆創傷の処置不十分であつたことが康次の破傷風に対する追加的要因となつたかどうか、並びに、もし前記破傷風についての教示がなされ、二月一八日夜ないし同月一九日の午前中にでも抗毒素血清等による破傷風の治療が開始されたとすれば、康次の破傷風死は免れ得たかということである。そこで、以下それらの点につき考えてみる。

(一) 本件創傷処置不十分と破傷風死との因果関係

一般に破傷風はどのような傷からでも感染して発症するものであつて、どのような傷であれば安全というものはないこと、そして、創傷の処置の破傷風についてもつ意味並びに本件において控訴人がとつた処置が、その深部に砂様の異物を残すという不十分なものであつたことは前記のとおりである。

鑑定人海老沢功の鑑定の結果によると、破傷風の発症、症状は、創傷より侵入した破傷風菌の強弱、量、神経組織に吸着した毒素の量等に関係するものであるが、本件康次の場合のような重症の電戟性破傷風は受傷とともに強毒性の破傷風菌が体内に侵入し、短時間のうちに(一日以内にできるとも考えられる)致死的な量の破傷風毒素(破傷風毒素はこの世に存在する毒素の中二番目に毒性が強く、人に対する致死量は0.00000005グラム――コブラ毒の六ないし七万倍の強さである)が産生されることが考えられること、したがつて、創傷処置はできるだけ早く行うべきものであつて創傷の外科的処置によつて破傷風を予防しうるのは、受傷後数時間であると考えられるので、受傷後六時間以内に創傷の浄化をすべきものであるとし、受傷後六時間を経過した創傷それ自体、破傷風の原因たる創傷の一つにあげられ、六時間以上経過した傷は、もし破傷風菌が感染していたとすれば、すでに毒素の産生が始まつているものと考えられるとしており、動物実験の結果では、破傷風菌注射後一二時間後の筋肉切除、浄化等の各種の外科的処置は全く無効であつたとしている。したがつて本件の場合、康次の破傷風の罹患は、受傷後、控訴人に治療を求めたのが二月一七日であり、受傷日である同月一三日からそれまでにすでに三日と二〇時間を経過しており、その間、家庭療法により、創傷につき医師の外科的処置が行われなかつたその時間の遅れが、その決定的要因であつたと考えられること、そしてまた、破傷風において、創傷の異物の残存は細菌学的には重要な意味があるとしても実際の例により統計的に、破傷風について異物の残存の有無とその予後との関係をみると、その致死率は、異物の認められたものにおいて40.9パーセント、異物のあつたとされないものにおいて39.5パーセントで両者の間には殆んど予後の差異は認められないこと、したがつて二月一七日控訴人の康次に対する初診時、その刺傷の浄化等前記創傷処置の不十分な手落ちがあつたとしても、同人の破傷風の罹患並びその死亡そのものに関しては追加的にも相当因果関係はなかつたことが認められ、〈る〉。

(二) 次に控訴人が初診時前記破傷風についての教示がなされなかつたことと康次の破傷風死との因果関係について考えてみるに、

破傷風の前駆的症状の発見は、専門の医師でも容易でない場合が多いことは前記のとおりであるところ、康次が二月一八日の夕食時、歯が痛い口があきにくいと訴えたこと、しかし、当時康次はむし歯にかかり、学校からその治療をするよう家庭連絡を受けており、現に翌一九日助広歯科において乳白歯二本を抜歯していることも前記認定のとおりである。したがつて、右二月一八日夕の康次の右訴えが、破傷風の前駆的症状である開口障害か、それともむし歯そのものの痛みの訴えであつたどうかはにわかに断定し難い点がないでもないが、康次の症状の経過からするとき、回顧的には、康次の右訴えは破傷風の前駆的開口障害であつたと認められることも前述のとおりである。そこで、控訴人から前記教示がなされ、被控訴人らが一八日夜ないし一九日午前中にも、康次について抗毒素血清等の破傷風の治療を開始させた場合、その死は免れ得たであろうかということである。しかし、ここにおいても考慮されなければならないことは、康次が健康なときに破傷風の予防接種を全く受けていない非免疫者であつたということと、康次の罹患した破傷風が重症の電戟性破傷風であつたということである。そして、〈証拠〉によると、抗毒素による治療開始は、理論的には一時間でも早い方がよいようにみえるが、しかし実際の治療の経験例に照して考えるとき、少数の軽症例を除き、本件康次の場合のような重症の破傷風においては、抗毒素血清をいつどれだけ注射したかとは無関係(抗毒素は五万単位以上使用するとかえつて予後に悪いという報告がある)に、一様に症状は悪化して重症の定型的な経過をたどり、しかして治癒するか、短時日の中に死亡するかのいずれかである。したがつて、重症の破傷風においては前述のような人的、物的設備の整つた看護体制のもとで対症療法に全力を尽す以外に方法はないものであり、そして、右のような病院において適切な対症療法が行われたときにおいてのみ、重症破傷風患者を死から救いうるものであること、したがつてまた、本件康次の場合、結局において、二月一八日ないし一九日の時点で抗毒素血清療法を始めても、本件において現実に開始された時点である二月二〇日にそれが始められたとして、その開始時点の差異は、康次の予後(生死)に差がなかつたことが認められ、右認定を覆えすに足りる資料はない。

そうすると、控訴人の前記教示をしなかつたことが控訴人の過失になるとしても、本件康次の破傷風死との間に因果関係があつたとすることはできない。

3 以上要するに、本件康次の破傷風の罹患並びに死亡は、つまるところ、康次が健康時に破傷風の予防注射を受けていなかつたこと、受傷後、控訴人の治療を受けるまでに、すでに三日と二〇時間も経過していたこと、康次が受傷時に感染した破傷風菌が強毒菌であつて、典型的な重症の電戟性破傷風に罹患したものであること、康次の破傷風発症後の対症療法が人的、物的設備の十分でない病院で行われ、結局その治療を適切に行うことができなかつたこと等に原因するものということができる。そうだとすれば、本件康次の創傷治療に際し、控訴人に前記のような創傷処置の不十分並びに破傷風についての教示等診療上の手落ち、すなわち過失があつたとしても、それと本件康次の破傷風罹患並びにその破傷風死との間には相当因果関係があつたとすることはできず、したがつて、康次が破傷風によつて死亡したことにつき、控訴人に法律上の責任があるものとすることはできない。

五よつて、本件康次の死亡は、控訴人の不完全な診療行為に起因するものであつて、その死亡につき控訴人に責任があることを前提とする被控訴人らの本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく、いずれも失当であるから、これを棄却すべきである。〈以下、省略〉

(原政俊 松尾俊一 日浦人司)

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